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キになる視点

ウクライナ人のアイデンティティの基盤とは何か?

掲載日:2025.10.07

 2006年に初めて日本に留学したとき、外国人のクラスメートや周りの日本人から「ロシアから来たの?」とよく訊かれました。私が「いいえ、ウクライナからです」と答えると、驚いたように「え? 何が違うの?」と返されるのです。そこで私は「ええと…全てです。言語も、文化も、歴史も」と何度も説明しました。すると「でもソ連の一部だったでしょ?  今はロシアなんじゃないの?」と言う人もいました。私は「たしかにウクライナはソ連の一部だったけど、ロシアの一部ではなく、今は独立した国だよ」と詳しく説明しなければいけませんでした。多くの人が驚いていました。

 

しかし、私自身のほうが驚いていたといってもよいかもしれません。ウクライナでウクライナ人として育った私が、「ロシア人」と誤って見なされていることが一般的なことだと、初めて知ったからです。しかもソ連はすでに崩壊していたのに、多くの人々にとっては何故かまだ存在し続けていたのです。こうした状況は、2022年2月にロシアがウクライナに対して全面戦争を始めるまで続いていました。面白いことに、その時点でも日本では、ロシアが2014年にクリミア半島やウクライナ東部の地域(「ドンバス」と呼ばれる地域)を占領して以来、ウクライナがずっとロシアに抵抗し続けてきたことをなぜかあまり知られていなかったのです。

 

 私の専門は言語学です。特に研究分野でいうと、意味論と社会言語学です。両分野において非常に重要な概念の一つが「文脈」です。文脈に関する知識に応じて、私たちは意味を理解し、あるいは言語学者のいうところの「解釈」を行います。ここでは、ロシアのウクライナに対する戦争の歴史的な文脈を踏まえ、ウクライナ人のアイデンティティについて簡単に説明したいと思います。なぜならウクライナの歴史を知らなければ、この戦争は理解できないと考えているからです。

 

 2022年2月24日以来、ロシア軍が様々な種類の兵器でウクライナの町や村を毎日砲撃していることは、ご存知のことと思います。国連によると、2025年9月の時点で、2022年2月以降約3年半の間に14,000人以上のウクライナの民間人がロシアにより殺害されたと報告しています。しかし、これらは確認された数字のみによる報告です。なぜなら国連は、ロシアの激しい攻撃を受けた占領地域(ウクライナの全領土の20%)に関する情報を収集できないからです。2025年3月にキーウ国際社会学研究所が実施した世論調査によると、ウクライナ人の66%が、ロシアのウクライナに対する戦争の目標は「ウクライナという国民国家の破壊」と「ジェノサイド」であると考えています。同87% の人がロシアは攻撃をやめないと考えています。

 

ウクライナ人が「ウクライナという国民国家の破壊」について考えるとき、よく思い出されるのは、1917年から1921年まで続いていたソビエト・ウクライナ戦争です。ロシア革命の後、ウクライナ人民共和国はキーウで独立を宣言しました。しかし、ソ連におけるロシアの反応は、かつてのロシア帝国と大差ありませんでした。ロシアは軍隊を派遣してウクライナを占領し、独立を認めませんでした。ウクライナは戦争に敗れたため、ソ連の一部となったのです。そしてご存知の通り、歴史は勝者によって書き換えられ、敗者の声は封じられるのです。勝者であったロシアの文化や政治を中心に形成されたソ連により、敗者であったウクライナ人が自国の歴史を語ろうとする声は長い間封じられていました。

 

 次に想起されるのは「処刑されたルネサンス」です。1920年代から1930年代初頭にかけて、数千人ものウクライナ語の作家や芸術家がソ連政権によって命を奪われ、あるいは拷問を受けました。言語はアイデンティティであるため、ウクライナ語はロシア帝国、そしてその後のソ連のもとで、さまざまな手段を用いて、意図的で禁じられてきました。

 

 もう一つ忘れてはいけないことは、反体制派を投獄し搾取するために作られたグラーグ(ソ連の強制労働収容所)に追放された多くのウクライナ知識人たちです。1920年代から1950年代の間に、グラーグへ追放された約2500万人のうち、約20%がウクライナ人でした。グラーグがなくなっても、強制労働収容所の歴史は消えることはありませんでした。1960年代から1970年代のウクライナの知識人たちは、ソ連が崩壊するその時まで投獄され続けていました。彼らが処罰された理由は、ウクライナを独立した主権国家として望んでいたからでした。

 

 そして、1944年に生まれた「ジェノサイド」という言葉は(「特定の集団を計画的に根絶する行為」)はウクライナにとって重要な意味を持っています。なぜなら、2000年代以来、ウクライナは「ホロドモール」の国際的承認を求め続けているからです。「ホロドモール」とは、1932年から1933年にかけてスターリンによって意図的に引き起こされた、ウクライナにおける人為的飢饉です。ホロドモールの間、およそ400万から600万人のウクライナ人が餓死しました。ホロドモールは、スターリン政権がウクライナの人々の集団化への抵抗を弾圧し、民族的アイデンティティを抑圧するために意図的に行った政策でした。そのため、ロシアを除く30か国によって、ホロドモールは「ジェノサイド」として認められています。ソ連時代、ウクライナ人はこのことについて語ることを厳しく禁じられていました。しかしこの残酷な歴史は、生存者たちから語り継がれる口承の物語を通じて生き残りました。

 

 これらは、ウクライナ人のアイデンティティを形づくってきた歴史のほんの一部にすぎません。そして過去3年半にわたり、私たちはその歴史が再び繰り返される光景を目の当たりにしてきました。ロシアは今、「ウクライナは正当な国家ではない」「ロシア人とウクライナ人は一つの民族だ」「そもそもウクライナ語など存在しない」「ウクライナはロシアの安全保障にとって脅威だ」というような偽情報を世界に向けて意図的に発信し続けています。

その言葉を聞くと、私たちはまるで歴史的なデジャヴのように感じます。いまだ世界がウクライナの「本当の歴史」を知らないように、ロシアは嘘を盾に、ウクライナ人の声、そして自由までをも奪い続けていることを、読者の皆さんには知っておいてほしいと考えています。

 

ウクライナ史の文脈を振り返りながら
この記事を書いた人

ユリヤ・ジャブコ ゆりや じゃぶこ

ウクライナのリヴィウ市生まれ。
イヴァン・フランコ記念リヴィウ国立大学で日本語学及び英語学を学び、同大大学院にて言語学博士号(2016)を取得。 2006 年に交換留学生として初来日。
2012 〜 2014 年、山口大学にて日本政府(文部科学省)奨学金留学研究生として研究活動。
2016 年から茨城キリスト教大学文学部講師を経て、現在准教授。
専門は対照言語学、社会言語学。
在日外国人 の文化的アイデンティティを中心に研究している。
2023 年、ウクライナ研究会賞(研究奨励賞)

担当者の主な著書